院長紹介
 
平沢歯科の院長はこんなひと!
院長名 宝崎 岳彦
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 院長は、患者さんからの「美味しく食べられるようになった」「楽になった」という言葉を励みに、講習会に参加したり、文献を読み、技術の向上に努めています。そしてそれらを生かして、一人ひとりの患者さんに合った提案をじっくりと説明し、ご理解いただいた上で診療に入ります。この姿勢は、小さなお子さんに対しても変わりません。何故その治療が必要なのかをよく話し、信頼を得てからでないと治療を始めません。また、スタッフに対する教育にも力を入れています。毎週時間を取ってビデオを見たり、新しい機材の使い方を練習したり、外部の指導を受けたり、医院の改善できる点を話し合います。

きちんとできるまでやり直させることもありますが、よくできたときには褒めてくださいます。そういう適度な緊張感のある関係がきちんとした仕事につながり、患者さんへの誠意にも結びついていると思います。

スタッフより
院長経歴
 
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略歴 1996年 神奈川歯科大学卒業
1999年 平沢歯科開業
所属 臨床研修 指導医 (厚労省)
日本臨床歯科補綴学会 専門医
日本口腔インプラント学会 専修医
JIAD 口腔インプラント 認定医
日本学咬合学会 認定医
ITI (International Team for Implantology)公認 
インプラントスペシャリスト

国際インプラント学会 認定医
AOS ( Art of Oral Science)
理事
日本先端歯科研究所 フェロー
EAO (European Association for Osseointegration)会員

CID (Center of Implant Dentistry) 会員

Bio (バイオインテグレーション)学会 会員
日本審美歯科学会 会員

日本レーザー学会 会員
日本磁気歯科学会 会員

*ほめ達 認定講師




私が歯医者になった理由と生い立ち

院長の生い立ち
私は東京の国立市という場所で育って参りました。国立市は文教地区という形であまり大きな工場もなく、自然が豊かな市で、一橋大学が国立市のシンボルになっています。春の桜の時期の大学通りの桜はとても見ごたえがあり、非常に綺麗です。秦野市の桜に負けないくらい素晴らしいです。
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幼少期

3人兄弟で、姉と妹に挟まれた真ん中の子特有の放任で育ちました。幼少期から小児喘息があり、(未だに完治していません)発作が出ると動けなくなることが多く、外見からは考えられないぐらい病弱でした。また、当時は落ち着きがなく、好奇心旺盛ですぐに何かを見つけては放浪するような子供でした。そのため広島カープの赤い帽子を幼少期は被らされていました。(ファンだからではありません…目立つようにです。) 国立音楽大学付属幼稚園でピアノを嫌々やっていた記憶があります。

小学校時代
喘息にはスポーツが良い…ということで、当時は水泳・体操・剣道をやっていました。体を動かすことも好きだったのですが、当時流行っていたガンプラ(ガンダムのプラモデル)を作るのも非常に好きでした。しかし、ガンプラの塗料の成分には当時シンナーが入っており、それをを吸いすぎると喘息が出ていました。小学校時代、喘息に治療、検査、検査入院で国立小児病院に通院していた関係で分数の授業をほとんど受けないで卒業したため算数が嫌いになりました。

テレビでドリフターズの「全員集合!」や「おれたちひょうきん族」などは観て笑っているうちに喘息の発作が出るので観ることを禁止されていました。

今もお笑いは大好きです。

幼な馴染みに小さい頃の僕はどんなんだったって昔聞いたら、「今も昔も優しいよ、落ち着きはなかったけどね。」今と変わらないみたいです。

今でも時間があればプラモデルは作りたくて買ってはいますが、なかなか作れないのが現実です。

中学時代
運動は好きだけど走ることは大嫌い…。喘息があると走ることって本当に嫌いになるんです。大嫌いを克服するため、陸上部に入部。でも、やはり走ることが好きになれず、大した成績もなく非凡な中学時代でしたが、未だに中学時代の友人とは飲みに行きます。大切な友人が多くできた時期でした。

中学時代に小学生の分数のドリルで分数を克服しました。

中学時代も季節の変わり目に発作が出て、喘息の発作が起きると自分で救急病院まで行き、点滴・吸入をしてもらい楽になる生活が続いていました。

気が付くと、医療が自分の身近にありました。 

高校時代
高校時代は、部活・アルバイト・バイクに精を出す楽しい時間を過ごしていました。

高校3年の時に転機が訪れました。毎日サラリーマンとして働く忙しい父を見ていたせいか、サラリーマンに憧れを持てなくて、自分の将来をどうしたいって考えた時に「無くならない仕事がいい。」と思い「僧侶になろう。」と思っていました。ただ、漠然と思っていただけですね。高校3年になってから、両親と話をした時に「医療系に行った方が良いのではないか。」と言う話になりました。うちの家系に僧侶などはいなく 縁がないので そのようなことになったのかと思います。

母方に医療系の人間が多く、父方は教師や音楽系が強い家系でした。姉も国立音楽大学ピアノ専攻に進み、同じ年の従兄弟がやはり国立音楽大学に進学、バイオリン専攻や東京芸術大学に管楽で進学していきました。中学時代に音痴と言われた私は以来音楽が嫌いになっていました。いつも出来が良い従兄弟達と比べられ、自分は一切の楽器をやらなくなりました。それなら、医療の道へ変更ということで、高校3年に文系から理系へ転向し、当時の担任の先生から「お前は馬鹿か!絶対に受からない」と言われて、ショックを受けたことを覚えています。

どうにか無事浪人する事なく、神奈川歯科大学に合格する事ができました。

人生で一番勉強した時期かもしれません。1日14時間以上勉強していました。多分歯科医師国家試験よりも勉強していました。高校時代10段階評価で1を取ったのも高校3年の時が初めてでした。科目は古典。「試験は平均点より点数が高かったのに、なんで1なんてつけるんだ!!」と先生に文句を言った時に、「あなたは授業に出ていないにだから当然。」と言われたことがいまでも思い出として残っています。点数だけで無く日頃の行いが大切なんだと、大学に行った時に気づきました。

神奈川歯科大学時代
浪人することも無く神奈川歯科大学に入学できました。大学時代、叔父が経営している 横須賀の衣笠にある栄町歯科診療所で洗い場のアルバイトをしながら、当時の先生達にいろいろな指導をしてもらいました。また、技工所でアルバイトなどもさせて頂き、技工士サイドからの歯科医師像などを学生時代から学べたのは本当に大きな経験をさせてもらいました。

学生時代、自分のしたい事に矯正治療が出てきました現在退官されていますが、前学長の佐藤貞雄先生の授業が非常に面白く、自分が矯正の道に進みたいと思わせてくれた当時憧れの先生でした。自分の矯正の主治医でもあり、咬合(噛み合わせ)の大切さを教えてくれた先生で、現在の私の歯並びは顎体模型に近い状態に作ってもらっています。本当に感謝です。噛む事の大切さを身を持って体験しました。

大学卒業まじかに父親がリストラされて、矯正の大学院に行く事を断念しました。大学院に佐藤教授に誘って頂いていたので本当に残念でしたが、これ以上スネはかじれませんでしたから。

勤務医時代
神奈川歯科大学を卒業後、医療法人広伸会に入社し、大きな法人でしたので、法人の色々な病院の院長付きをして、色々な考え方を学びました。治療の仕方、医療人としてのあり方、などを諸先生から多く学ばせていただきました。英才教育のうような感じでしたその中でも卒後3年間は講習会や学会にで続けろと命令され、それは現在まで続いています。当初は若いのにえらいねと多くの先生に声を掛けてもらいましたが気づけば若い先生が周りに増えている時代になりました。

寺川国秀先生に教えられた医療人のあり方が自分のベースになったのは、とても大きな財産になりました。 歯科治療に携わるよになってから、この仕事が本当に好きになって、仕事をしていて本当に楽しい時期を勤務医時代に過ごすことが出来ました。

現在平沢歯科の院長として2018年5月で18年目に入ります。

現在師事させていただいている 小出 馨 教授の考えを大切にし「地域の皆様の健康づくりのお手伝い」が出来るように、また今後も「健康状態の維持」に努めていきたいと思います。

平沢歯科を開院、継続するにあたり多くのスタッフ、友、家族、関係業者様の多大なお力を頂き、現在に至っていると思います。

『今後も ありがとう と 笑顔 が溢れる病院作りを継続したいと思っております。』

平沢歯科 

院長 宝崎 岳彦